私は神様の手をもう二度と離さない!

30代 miniさん

―摂理にはどのようにして来られましたか?

私は大学の友達を通して摂理に出会いました。信仰を持つことについて深く考えてはいませんでしたが、昔から毎月神社巡りをするのが趣味というくらい、「神様」という存在自体は好きでした。私は大学でミュージカルを専攻していて、舞台に立つことを夢見て頑張っていたのですが、業界の内側に触れる中で厳しさだけでなく嫌な面も見えてきて、将来の道について悩むようになりました。その頃に摂理の教会に友達と共に通うようになり、御言葉を聞く中で、悩んでいたことが徐々に解かれていくのを感じました。聖書を学び始めてからも、しばらくは神社と摂理と両方共を行ったり来たりしていましたが、沢山考えて、摂理で神様を信じて生きていくことが自分にとって最良の道だという結論に至り、教会1本に心を決めました。

 

―教会ではどのように過ごされていましたか?

摂理で神様を信じることを決めてから、教会でも主に演劇やミュージカルのなどの芸術分野の使命を果たしながら走っていました。摂理では芸術が真実に神様に栄光を捧げるためにあることを知り、芸術を通して主を証しできることの喜びをたくさん感じながら演じていました。世の中の演劇では味わえなかった感動や悟りを受けて、本当にうれしかったです。

 

―充実していたようですが、いつ頃から状況が変わってきたのでしょう?

演劇部のリーダー的な役割を任されるようになってからです。その頃から、楽しかったはずの摂理での芸術や舞台づくりへの思いが、徐々に変わって行きました。

 

演劇部も長くなってきた頃、演劇部と指導者の中でうまく和睦ができないことが続き、疲れてしまいました。

 

そのような人間関係の摩擦によって、一緒に頑張っていた子が傷ついて教会に来られなくなってしまうことも続きました。私が面倒を見ていた子たちだったので、その姿を見ながら、演劇部をまとめていた一人として、私自身も深く傷ついてしまいました。

 

あれだけ熱かった舞台への情熱は冷め、気持ちが沈み始めて、礼拝にも出られなくなってしまって……。神様と先生は信じられるけれど、兄弟姉妹を信じることができなくなり、だんだんと心が教会から離れていきました。

 

そして2013年頃、摂理8年目くらいの時に、摂理を出ることを決断しました。

 

―それからはどのように過ごされていたのですか?

日曜日には自分の好きなことをしたり、旅行に出かけたりして、充実した日々を送っていました。演劇や教会から離れた生活はストレスが無く、最初はとても幸せで、毎日が楽しかったです。

 

ただ、教会に行ってないだけで、その頃も神様のことは信じていたので、お祈りはしていました。お祈りの中で、イエス様の「それはしてはいけないよ」という声が聞こえたように感じた時もありましたが、それを聞こえないふりをして無視して、振り切って生活していました。

 

それなりに楽しんではいましたが、でも、そのような生活も数か月過ごしたら、だんだんと何をしても面白くなくなっていって……。そのうちに、時間がゆっくり過ぎて行くように感じてきて、毎日がとても暇で、退屈でした。何をしても味気なく、つまらない日々を過ごしているうちに、生きる意味が見い出せなくなっていきました。

 

教会に行かないことで肉体的には楽しく生きていましたが、自分の心が死んでいくような感覚がしてきました。私は元々、神様が嫌いで教会から離れた訳ではなかったので、徐々に、日曜日や水曜日の夜になると「今は礼拝の時間だな。今日はどんな御言葉が宣布されているんだろう?」「先生は今頃、何をしているのかな?」と考えるようになっていきました。

 

―心霊が教会を求めていたんですね。その頃、連絡は取っていた摂理の人はいましたか?

はい。ずっと気にかけてくれた摂理の友達が一人いました。摂理を離れると決めた時に、私は自分なりの「けじめ」みたいな感じで、携帯電話も変えて、一切、教会の人たちとの連絡を取らないようにしたんです。

 

でも、たった一人だけ、その友達とは連絡を取っていて。その友達には数か月に1回くらい定期的に会っていました。結局、その人を通して、戻ってくるようになりました。

 

彼女は私が教会を離れた理由も受け止めてくれていたし、会うとたわいのない話もしてました。仕事や趣味で仲良くなった人もいましたが、本当に心から本音で付き合える人はいなくて、どんどん愛に飢えていくのを感じていたんですが、彼女は他の人とはまったく違いました。今思い返せば、彼女はどんな時でも変わらない主の愛で、私にずっと接してくれていたんだと思います。

 

私が摂理に戻る気がないことを伝えても、それを責めることなく、いつも私の気持ちに寄り添ってくれました。彼女に数カ月おきに会って話す中で、だんだんと心のわだかまりが消えて、神様の愛を再び感じ始めました。そして、摂理に戻りたいという思いが強くなり、そして2015年に戻ることを決心しました。

 

―戻ると決めから、実際に戻るまでの間、そのお友達の存在は大きかったですよね。

はい。ちゃんと戻れるまで、諦めずに一歩ずつ進んでいこうと思ったのですが、その一歩は今まで生きてきた中でとても重い一歩で……。心がくじけそうになりましたが、彼女がいてくれたから諦めないでいられました。

 

あと、私と同じように一度出て、摂理に戻った友達がいて、その人が「帰ってきたいと思うなら、そうするのが良いよ」と背中を押してくれたことも心強かったです。彼女たちの存在があって、「戻るなら今しかない」と心が決まりました。

 

その2人の友達に協力してもらい、3人で40日間の悔い改めのお祈りをしました。祈る中で、私が離れることで神様の心を痛めさせてしまったこと、兄弟姉妹と仲良くできなかったこと、神様の御言葉をしっかり悟っていなかったことなど、涙で悔い改めました。

 

私もとてもつらかったですが、そのつらさの何倍、何百倍以上も主もつらかったことを悟りました。そしてその反面、こんな私を離さず愛してくださり、祈ることを許して下さる神様の愛に、感謝と愛が溢れて涙が止まりませんでした。

 

40日のお祈り後、また祈りの条件を続け、祈り始めてから約5か月が過ぎて、数年ぶりに教会で礼拝に参加することができました。

 

―いろんな経緯があって、戻ってこられたんですね。

礼拝に参加するようになった後も、たくさんの教会の人たちが私ことを気遣ってくれ、細やかに配慮してくれて、いつも相談にのってくれました。再び教会に通うという決心はしたものの、実際、教会には摂理を出る前の、昔の自分を知っている人もいるし、そう考えると色々と心は複雑だったので……。

 

戻ってきた当初は周囲からの視線が痛く感じることもありましたが、でも、教会の人たちは私をとても温かく迎えてくれたので、それはとてもありがたかったです。一度摂理を離れてから、ここに至るまでは本当に大変でしたが、今は心が生き返り、何をしても新鮮な気持ちになりましたし、神様への愛と初恋のような嬉しい心を取り戻して、イキイキと生活しています。

 

―最後に一言、お願いします。

摂理に戻ってみて、改めて、神様は最後の最後まで私の手を離さず、ずっと愛してくださっていたんだということを悟りました。そして、私は神様の手をもう二度と離さない!と誓います。

 

もしあの時、心を決めて教会に戻っていなかったら、今頃、自分はどうなっていたのか……。考えるだけでも恐ろしいです。私の人生を再び生かしてくださった聖三位と主に感謝と愛を捧げます。永遠に愛していきます。ハレルヤ!