摂理に戻ってみて思うのは、本当に最高の宝を得たということ

サニー 30代女性

―摂理の教会に来た経緯を教えてください。

2001年、19歳の時に部活の先輩を通して摂理の教会に通うようになりました。信頼していた先輩が聖書を学んでいることを知って、自分から「聖書を教えてください」と話をしたのがきっかけです。実際にバイブルスタディを聞き始めたら、その内容にすごく感動しました。「もっと聞きたい! この御言葉には人生の答えがある!」と思いました。自分は何のために生きているのか、高校生の時から考えて悩んでいたので、その答えがまさに御言葉の中にあったと思えたからです。あとは、その頃、慣れない一人暮らしに孤独を感じていたので、余計に神様の愛を強く感じたのかもしれません。あの時、私は本当に御言葉が好きで、特に疑問や難しさを感じることなく、スムーズにバイブルスタディを全て聞き終わり、礼拝に参加するようになりました。

 

礼拝に参加して、キャンパスメンバーとして走りました。教会では聖歌隊の使命を果たしました。この御言葉をもっと伝えたい、真理を求めてる人をここに連れてきたい、伝道したいという気持ちと、経験がなくうまくいかないことも多くてもがいていましたが、それでもその頃の私は生き生き、輝いていたと思います。

 

―その状況が、いつ頃から変わってきたのでしょう?

教員として就職した頃からです。勤め先の中学校が家から遠く、通勤に1時間ほどかかりました。しばらくは毎日通っていましたが、次第に疲れが溜まっていきました。明け方のお祈りを教会で捧げ、それから6時の電車で出勤し、1日中働いて、そして終電で帰って来る……という日々で、何のために働いてるのか分からない状況でした。毎日こなさなければならないことが私のキャパを超えてしまい、心も体もとても辛かったです。私の様子を見て心配してくれた教会の人は「仕事を辞めたらどう? 一緒に探すよ」と言ってくれていました。

 

でも、私は田舎育ちだったこともあり、学校の先生という仕事に就いていることが自分にとっての一つのステイタスになっており、教員であることにプライドを強く持っていました。なので、その声には一切、耳を傾けませんでした。疲労が重なって自分がボロボロになっていても、薬を飲んでごまかして仕事を続けていましたが、実際はいつも居眠りしてるような状況でした。

 

そのような状態で働くので仕事がうまくいくはずもなく……。職場でうまくいかなかったことをいつも嘆き、泣いて、不満ばかりつぶやいては、メンバーに聞いてもらっていました。自分勝手な考えで頭の中がいっぱいで、御言葉を聞いても頭には全く入ってきませんでした。あれだけ伝道に熱心だったのに、「私は今社会人だから伝道できなくても仕方ないんだ」という気持ちになっていました。

 

―そのような状態でも、仕事を続けていらっしゃったんですね。

はい。全てのことにやる気がなくなっていきましたが、仕事だけはとにかくやろう、なんとか回そうと考えて、毎日働いていました。当時、クラス担任を持っていて、ギリギリの精神状態ではうまく回るわけがないのに、責任を感じて朝から夜まで、あと授業後の部活までやっていました。土日も仕事になることも多く、「もう本当に体が限界なんです」とメンバーに話して、学校の近くに引っ越しました。

 

その後、精神状態は良くなるどころか、ますます悪化して……。そのうち出勤できなくなって、病院へ通い始め、うつ病の診断が出ました。最終的には仕事復帰をすることが難しくなり、無理してでも仕事をやり通すことが大事だという自分の思い込みがアダとなり、教員になって2年で、あれだけ大切に思っていた仕事を辞めざるを得なくなりました。これが摂理に来て6年経った頃でした。

 

その後、実家に戻り、自宅で療養をしました。その頃は誰にも会いたくなくて教会にも行かず、引きこもり生活をしていました。実家に戻って2年ほど経っても体調不良やうつ症状が改善されませんでした。あまりにもつらくて、神様に対して「なぜ私がこんな思いをしなければならないのか」と不平不満しか出なくなりました。神様をと信じられなくなって、これからは神様に頼るのをやめて、自分の力で人生の道を切り開こうと考えるようになりました。教会の人たちとの連絡を絶って、摂理を出ることを決めました。

 

―それから体調は回復しましたか?

すぐには回復しませんでした。しばらくは引きこもりのような生活を続けていましたが、やはり教員の仕事を諦められなくて。それで、もう一回挑戦しようと、薬を飲みつつ、勉強を始めました。外に出られるようになってから、通信で小学校の免許と特別支援の免許をとって、特別支援学校の仕事に就きました。新しい就職先ではパワハラに合い、苦しかったですが、ようやく手に入れた仕事だから頑張ろうと思って、一生懸命、特別支援学校で使う英語や手話を勉強しました。でも、勉強を頑張れば頑張るほど、自分は何のためにこの勉強をやってるんだろうと虚しくなっていきました。その頃から、「もし今、私が摂理にいたら……」と頻繁に考えるようになりました。

 

―具体的に、どのようなことを考えたんですか?

神様を信じて、神様の仕事をすること、神様に使っていただけるということは、本当に生活が充実するし、心が満たされて、やりがいや達成感があるという、信仰を持つからこそ感じられる喜びとか醍醐味ってありますよね? 私はその味を感じたことがあったので、今はそれを感じられないから虚しいんだと、自分の本当の心に気づきました。自分から神様を信じることをやめたはずなのに、神様を信じない人生なら、自分は一体何のために生きているんだろうと考えるようになりました。

 

そして、私が人生で一番輝いていた時代、教会で熱心に神様を信じて走っていた頃を思い出しては、先生の御言葉を思い返すようになりました。何かにつけて、「先生はああ話していたな」「このように話されていたな」「先生が『強いものだけが生き残る歴史だ』とおっしゃっていたな」と思いを巡らせていたら、先生の言葉が自分の人生の指針になっていたことに改めて気づきました。また、「御言葉に頼れないから力がない。力が湧いてこない」のだと先生が話していたことを思い出して……。それが今の自分の状況だと認めるしかなく、摂理に戻る決心をしました。

 

―戻られてからは、いかがですか?

今も教師の仕事をしていますが、人間関係が苦手なので大変さを感じます。でも、もう虚しいとは思いません。摂理に戻ってこられてからは、自分が天に繋がっているから、自分を神様に使ってもらえるということが、本当に自分の希望で喜びだと感じています。神様とつながって生きるのと離れて生きるのでは、こんなにも違うんだなと実感しています。戻って来てすぐの頃、神様と再び目と目が合った時、また神様と通じ合ったと感じた時の、あの興奮と喜びといったら、本当に言葉になりませんでした!

 

摂理を離れてからの約4年間、まったくお祈りしてなかったので、私はお祈りの仕方も忘れてしまって……。それでメンバーが私のために祈ってくれたのですが、その時には、体の内側からエネルギーが満ち溢れるようでした。あと、今は御言葉をメンバーが毎朝LINEで送ってくれるので、一言一句逃さず、職場の休み時間に見ては、その御言葉を1日中ずっと頭に入れて過ごしています。

 

―摂理から離れていた時と戻った今とでは、自分の中で変化した部分はありますか?

たくさんあります。摂理を出た時の私は、神様に対して不満ばかりを言っていたことが分かりました。仕事のことも「私はもっとうまくやりたかったのに、教員を続けられなかったじゃないですか」と神様を責めたし、他のことでも自分で選んだことなのに、全て人のせいにしてました。そんな不平不満ばかりだった私でしたが、摂理に戻ってきた今は、本当に感謝しかないんです。戻ってきて悟ったのは、「感謝は不平不満を無くしてくれる」ということでした。

 

約1時間の通勤中も、前は気持ちがドヨーンとして、「何で教員なんて仕事を選択しちゃったんだろう」と不満を言ってたのに、今は「神様~、ここにスズメがいることも感謝します」「今日は天気良いことも感謝します」「空に雲が一つありますが、これも何の形なんでしょうかね~」「神様、今日も共にしてくださるなんて、本当に感謝します」と言いながら過ごしています。

 

このように感謝して生活していると、同じ道を歩くにも、本当に心が全然違うんです。神様と繋がっていると感じられることで、自然に感謝が湧いてきます。

 

―生活の中で、たくさん神様と通じ合っているんですね。

はい。今は、毎日、感謝することを忘れないようにしています。通勤途中に虹を見ることが多くて、それを見つけるたびに「今日も神様が共にしてくださってる!」と感謝を捧げますし、雲に虹がかかっている時には「何か難しいことがあるのでしょうか? でも神様が共にしてくださいますよね!」と神様と対話をしています。

 

私は摂理を離れていた時に結婚し、今は子供もいます。この子も天の愛を受けて育ってほしいですし、そのように育ってくれれば、幸せだなって思います。夫はまだ信仰を持ってはいませんが、私が言っている教会が摂理と知っていて、礼拝も隠すことなく行けてるのでありがたいです。いつか夫も伝道したいです。

 

―最後に一言、お願いします。

摂理に戻ってみて思うのは、本当に最高の宝を得たということです。今の私には感謝しかないし、残されているのは、神様が私を愛してくださったように、そのように私も愛することと、実践することしかないと思っています。これからは、もがいている期間、苦しい時こそ、主のそばで共に生きています!神様を永遠に愛して生きていきますと、神様にお伝えしたいです。