プライドが邪魔して神様の前で素直になれなかった
Sさん(40代・女性)
―摂理との出会いについて教えてください
私は、2007年の大学入学時に摂理に出会いました。鄭明析先生が伝えてくださる聖書の御言葉を聞いて感動し、摂理の教会に通うようになって、それから大学院卒業までの約4年間という青春をどっぷり教会活動に捧げました。
―どんな理由で摂理を離れたんですか?
卒業後、社会人になって生活スタイルが大きく変化したことがきっかけでした。摂理が好きで熱量はあったのですが、学生のときのように十分に御言葉を聞く時間がなくなり、ストレスが溜まり始めたんです。少しずつ信仰生活が崩れていくのを感じながらも、それを整えきれなくなってしまい、そのうち御言葉を聞くことやお祈りすることまでも諦めるようになっていました。始めの頃はなんとか信仰生活を立て直したいと思っていたのですが、教会の人たちにうまくできていない自分の姿を見せるのが嫌で、誰にも相談できずに強がっていました。
たまに時間に余裕ができて教会で御言葉を聞いても、「〜しなければならない」と強制されているような捉え方になり、「(御言葉で話されていることを)できていない自分はダメだ」という自己否定の気持ちが強くなって、御言葉を聞くこと自体をやめるという負のループから抜け出せなくなってしまいました。学生のときに頑張っていた伝道も時間がなくてやりたくてもできないし、いざ出かけてもうまくいかないことも多くてがっかりしてしまい……。そんな日々が続き、いつしか私は神様や摂理のことよりも仕事を優先にするようになっていきました。さらに自分が主と共に伝道した人たちが教会に来なくなったことも重なって、完全に心が折れてしまいました。
ちょうどその頃、会社の同僚からお付き合いしてほしいと言われるようになりました。最初は断りましたが、断っても何度も求められ、結局相手の熱意に根負けして付き合うことになりました。
そして、「この状態では自分は摂理にはいられない」と思い、悩んだ末、2016年に摂理の教会から離れることを決めました。
―離れていた期間はどのように過ごしていましたか?
摂理を出てから最初の頃は毎週の礼拝や教会イベントに行かないので体は楽だし、自由な時間ができて休日も好きなように過ごしていました。しかし「このまま神様から離れていたら、私は地獄にいくのだろう」という考えは抜けず、心から楽しめない自分がいました。
しばらくすると、目的もなく何かやりたいこともない休日を過ごすようになり、自分の人生の方向性が分からなくなりました。ふとした時に、以前教会で一緒に走っていた人たちのことや主日礼拝の御言葉が気になるようになりました。「みんなは今も教会でキラキラして走っているだろうな」とか、「また摂理の教会に行きたいな」と考えることもありました。しかし、その度に「自分が決めたこの選択に後悔はない」とまた強がって、それを繰り返しながら約3年半を過ごしました。
付き合っていた人と結婚して引っ越したため、以前通っていた教会からは遠く離れることになりました。引越し後も、時々SNSで教会の人から連絡をもらったり、夢に教会の人が現れたりして、摂理のことを完全に忘れることはありませんでしたし、摂理のことを悪く思うことはありませんでした。
摂理に戻りたい思いが日に日に強くなっていましたが、その気持ちに蓋をして過ごしていました。その頃、結婚生活はうまくいっておらず、自分の人生は真っ暗だという気持ちが強くなり、どんどん心が苦しくなっていきました。こんなに心が苦しい原因は私が摂理を出たせいだと思っていたのですが、改めて自分を省みた時、もっと根本的な部分に問題があったことに気がついたんです。
具体的には、祈りと御言葉を疎かにして神様への信仰がぼやけてしまったこと、自分の弱みや悪い性根を直せなかったこと、プライドから教会の姉妹に相談できず、強がって自分で解決しようとしていたことなど、さまざまな自分の過去の過ちを認めるようになったんです。
摂理に戻りたい気持ちが強くなる一方、「私の罪は許されないだろう。教会の人たちに自分の罪が知られるのが怖い。昔を知る人にどう思われるか心配」といった複雑な感情もあって、あと一歩が踏み出せませんでした。
―その最後の一歩を踏み出したきっかけは?
摂理のことを考えていた時に、聖書のマタイによる福音書の18章、中でも8節の聖句が頭に浮かびました。この聖句を読み返し、私のプライドや罪悪感が神様の御前に行くのを邪魔していることに気づき、私のプライドを守るのではなく、たとえ恥ずかしくても摂理に戻りたい気持ちを行動に移し、神様の前で誠実な悔い改めをすべきだと悟ったんです。同時に、私の悔い改めだけでは到底神様に許される気がしなかったのですが、先生の姿が脳に浮かび、私にとって神様が本当に必要だし、先生が本当に必要な方だと、ようやく目が開かれた感じがしました。そこからは、自分が犯した罪の悔い改めと共に摂理に戻りたいと切実に祈るようになりました。
本来なら私から教会の人に連絡すべきでしたが、勇気がなくて、神様に「メンバーと出会えるようにさせてほしい、戻りたいと言えるようにさせてほしい」と真剣に祈りました。すると、不思議なことに、お祈りしたとおり、昔同じ教会に通っていた後輩と先輩に私の生活圏内で偶然会うことができたんです。…が、彼女らに会えて嬉しい反面、突然のことで心の準備ができていなかったため「摂理に戻りたい」という一言が言えず、挨拶だけで終わってしまいました。
それがすごく残念で、「もう一度、教会の誰かに会えたら、その時には摂理に戻りたいと言う勇気がほしい」と追加で祈りました。すると今度は、当時一緒の使命をしていた人に出会うことができたんです。「この人になら言える!」と思い、戻りたいと打ち明けることができました。
その時に分かったのですが、当時通っていた教会は合併し、私の住まいからとても近い場所に引っ越していたようでした。また、別の教会も職場近くにあったようで、神様は私が摂理から離れている間もずっと愛して主管圏に置いてくださっていたんだと、神様の愛を認めるしかなく、私は「もうこの事実だけでいい、誰に何を言われても一生摂理で生きていく」と決心するようになりました。
今は聖書の御言葉を最初から学び直して、また教会に通っています。昔、摂理を出たことは一生悔い改め続けることですが、あの期間に悟ったことは、私が再び摂理を走る上で大切な土台になっています。私の弱気な祈りも聞いて、再び機会を下さった聖三位と主、そして私の代わりに悔い改めてくださっていた先生に感謝します。
*終わり


