神様の愛を誤解して自分で自分を苦しめていた。今は分かったから離れません。

Aymさん 30代女性
―今とても元気に教会で過ごされているようですが、なぜ摂理を離れることになったんですか?
私は元々摂理の教会で聞く神様の御言葉が大好きでした。でも、2016年に悔い改めの祈りをする中で、自分が御言葉どおりにできないことが多く、それが苦しくなり、そのうち御言葉を聞いてもどうせ私にはできないからと耳を塞ぐようになりました。摂理に居ること自体が苦しくなり、徐々に教会活動からも遠ざかっていきました。
その他にも、自分の通っていた教会が他教会と合併するという急激な状況・環境の変化についていけなくなったこと。当時とても頑張っていた活動を先輩に否定されたこと。精神的に不安定になり、仕事中に自分でも感情を制御できない時があったこと。これはあとでバセドウ病の影響だったと分かりました。
そして、自分の時間が欲しい、好きなことをやりたいと思って音楽教室に通い始めたところ、そちらの方が楽しくなったこと。そういったさまざまな要因が重なって、2019年2月を最後に教会に行くのを止めてしまいました。
―摂理を離れていた間は、どのように過ごされていたんですか?
もちろん、楽しいと感じる時もありましたが、それは一時的なもので、生活の中ではつらいことが多かったです。
自分から摂理を離れたはずなのに、頭の中からは神様が完全には消えなかったんです……。一日が始まると「教会のみんなは明け方から祈ったんだろうな」と考えたり、お風呂で賛美しては「でもこの賛美は神様に受け取ってもらえないんだろうな」と思って泣いたり、出かける前に施錠確認をする時、三位を呼びながら確認したりしていました。
音楽教室で知り合った男性と親しくなったのですが、その人との会話が弾んだ翌日にマンションの外階段の手摺にカラスが留まっていたり、一緒に食事をした帰りには雷が轟いたりして、そのたびに「神様が怒っていらっしゃるのかもしれない」と考えては戦々恐々としていました。
他にも、新しいマンションに住み始めて数か月ほどして隣の空室に居住者が入ったのですが、昼夜問わず騒音に悩まされました。管理会社が注意しても変わらず、むしろエスカレートして、落ち着いて寝られる日が少なくなっていきました。
あと大きかったのが健康面での問題でした。2019年の秋、健康診断で再検査を受けるように言われ、受診後バセドウ病を発症していることが分かりました。
―隣人トラブルに病気とは、大変なことがいくつも続きましたね。
はい……。摂理から離れていた期間は、とにかくつらいことが多かったです。ただ検査結果を聞いた時、自分が不安定なのはバゼドウ病も原因の1つだろうから、病気が治ったら、また摂理で走れるかもしれないという考えが瞬間、思い浮かんだんですよね。
病気については、会社にバセドウ病発症の報告をしたところ、勤務時間内に受診しに行ってもいいと許可をもらえて、スムーズに通院できるようになりました。
その頃、いよいよ隣人の騒音に耐えられなくなって引っ越しを考え始めました。引っ越しのことを音楽教室仲間の男性に相談すると、突然冷たく拒絶されたんです。その出来事以降、その人から以前のような優しさを全く感じられず、違和感を覚えました。それで改めてよく考えてみたら、自分が寂しさからその男性に依存していただけだったと気が付いて、ハッとしました。そして、やはり自分が求めているのは神様だし、摂理に戻りたいと強く思うようになりました。
それからしばらく治療に専念して、1年後には正常値になり、バセドウ病が寛解しました。寛解前にも、何度も教会の人に連絡を取ろうとしましたが、毎回「戻っても、どうせ私はまたうまくできないだろう」という考えが過ぎり、踏み出せませんでした。しかし寛解を機に、「できるかどうかは分からないけれど、教会に戻ってやってみればいい」という思いが強くなり、勇気を出して2022年の夏、以前一番近しく連絡をくれていた人にメッセージを送りました。すると、すぐに彼女から返信があって翌日に会うことになりました。
―連絡して翌日とは急展開ですね。
そうなんです。タイミングが良かったというか。ただ、もしすぐに会えなかったら、やっぱり戻れないんだと気落ちして、会うのを諦めてしまったかもしれません。彼女に会ってお茶をしながら、これまでにあったことを全部話しました。御言葉を聞くのがつらくなった理由や教会に居づらくなったこと、あと寂しさから異性に流れてしまったことを話しました。自分の未熟な部分を話すのは情けなさと恥ずかしさがありましたが、彼女は一つも否定せず「つらい思いをしていたんだね」と、私を慰めてくれながら話を聞いてくれました。
そして、その週の御言葉は「負担になるやり方で神様に仕えるな」だと、簡単に内容を教えてくれたんです。その御言葉を聞いた時、あの当時も神様は私を愛してくださっていたのに、私がその大きな愛を誤解して、自分で自分を苦しめていたのだと悟りました。頭の中がスッキリして、目の前が開けたような感じがしました。それがちょうど私が摂理を離れてから約3年半がたった時でした。
その後も彼女と連絡を取り合って、翌月の夏季休暇に旅行へ行くことになりました。
―いいですね。旅行中ではどんな話をしたんですか?
車での移動中に、今の教会の様子を聞きました。あと、どうすれば摂理に戻れるかも相談しました。すると彼女がすぐに教会の指導者の方と会えるように連絡を取ってくれて、旅行のすぐ後に会いに行ったんです。
とても緊張しましたが、離れていた期間のことを告白すると、その方も私を優しく受け入れてくださいました。そして、神様は無条件の愛の方であり、日本人は完璧でないといけないと責めすぎる気質があるから、自分を責めそうになった時はむしろ自分を褒めてあげようと話してくださったんです。
また、2022年6月から先生が究極的に祈られていて、その中で摂理を離れた人が戻ってこられるように祈っていらっしゃると教えてくださいました。私のために先生が強力に祈ってくださっていたことを知って、先生のお祈りがあったから、自分は戻れるようになったのだと確信しました。
その後、再び教会で御言葉を学び直して、2022年12月のクリスマスの礼拝に参加するようになりました。
―クリスマス礼拝から再スタートというのは、なんともすてきな神様の経緯です。それから今に至るわけですね。
はい。摂理に戻ってきた直後は、教会で神様の御言葉を聞けることが嬉しく、ひたすら感謝の祈りを捧げていましたが、しばらくすると御言葉を聞いているだけではなく、自分も何か神様にして差し上げたいと自然に思うようになり、そのためにも祈るようになりました。最近は神様や教会の人と相談しながら、仕事や健康面とのバランスも考えつつ、いくつかの教会活動に参加しています。やることが多くて忙しい時もありますが楽しいです。
2023年の秋には、数年ぶりに先生の故郷である月明洞へ行きました。到着後すぐ摂理に戻ってこられるようにしてくださったことへの感謝と悔い改めの祈りを捧げました。すると、その週の主日の御言葉の主題が「再び肉も、魂も、霊も生まれ変わりなさい」だったんです。私の祈りに対して、神様は御言葉を通して「今までいろいろあったけれど、御言葉の熱い溶鉱炉で溶かして再びつくり直せばいい」と答えてくださいました。
―まさに御言葉を通して現れる神様、ですね。御言葉を通して神様と対話をされているのが分かります。
はい。今は空白の期間を埋めるように、自分の位置でしかできないことがあると思って日々を過ごしています。自分が行なった分、御言葉で共にしてくださる聖三位と主を感じますし、一緒にやろうと天が用いてくださることに心から感謝しています。